香港から鉄道で羅湖まで行き、構内を歩いて中国・深[土川]へ入る。持参のGSM携帯の香港SIMカードはHuchinson Telecomの3DUALBAND。どこで中国側に切り替わってローミングとなるか。行きにKCR改札を出たとき確認するとまだ香港。香港出境時に見るのを忘れ、中国の税関前まで来たときはすでにローミング先のChina Mobileの表示に変わっていた。帰りは気をつけて中国出境、香港入境時も確認したが、結局中国から香港へ電波が切り替わったのは羅湖駅改札前。中国の電波が少々香港側へ越境して優勢。
マレーシアで賃貸マンション
2005年02月24日 · Tour
研究休暇でクアラルンプールに一年居るので、Condo(マンション)を借りることにした。赴任地はマラヤ大だから、大学の周辺かLRT Putraの駅周辺、たとえばTaman Jayaなんかがよかったが、日本人学校に通う小学生が二人いるので通学バスルートになっているCondoしか選べない。マラヤ大学病院門を出たところのUnivesity Towerあたりが手頃で、毎朝近くの集合地点(PJのPrima16 Condoか)まで送ることも考えたが、現実的でないと思い直した。現地校に入れるならともかく、日本人学校なのだから中途半端に現地社会なのもどうかと考えもした。学校は昔の空港スバンの方だが、通学バス24ルートのうち、半分がMont Kiara。結局くもんも入っているVistaにした。Gardenインターナショナルスクールの向かいでPlaza Mont Kiaraショッピングセンターにも歩いて行ける。
探し方の手順だが、英字紙STARの不動産広告欄でだいたいの相場を確認し、現地の知人や日本人会で教えられた不動産屋に希望の場所、予算を告げる。うちは夫婦子供二人で2ベッドルームあればよかったが、3ベッドルームが多かった。広さも軽く100平方mを越え、1300-1400 square feetというのが一般的。1年しか居ないのでFull Furniture(家具付)にこだわった。ベッド、応接セット、食卓テーブルから、テレビ、ビデオ、DVD、衛星受像機、それに冷蔵庫、洗濯機と乾燥機、炊飯器まで付けてもらった。食洗機も頼もうと思ったが、ベスト電機などで見ると、業務用の大きなものが一種類しか置いておらず、あまり一般的でないようなので止めた。シックハウスになるのがこわかったので、内装は塗り直さず、クリーニングだけでいいことにした。
手付けの前家賃は1ヶ月分。本当はその後一週間以内、少なくとも入居までにRental Deposit2ヶ月、Utility Deposit1000-2000リンギ、印紙税300-500リンギ払うのだが、入国初日に鍵と引き換えということにしてもらった。諸々支払いは小切手が通例とのことだが、まだ現地に銀行口座がないのですべて現金でお願いした。1-2ヶ月前に行って数日で済んだのは運がよかったのだろう。入国後しばらくホテル住まいして引っ越しということも多々あるだろう。印紙税以外は退居時に帰って来る。店子から不動産屋に払う分は見えないが、オーナーから支払いがあるとのこと。
コメントは受け付けていません。タグ :
MP3のストリーミング再生
2005年02月11日 · Cinema&Play
ストリーミングは専用サーバを立てなければならないと思っていたが、MP3プレイリストファイルを使うと、ブラウザのサポートアプリケーションがストリーミングに対応している限りできてしまうようだ。
手順はエディタ等でsample.m3u(これがMP3プレイリストファイル)をつくり
http://www.sample.com/sample.mp3
と書いて保存。このsample.m3uとsample.mp3を同じディレクトリにアップロードすれば終わり。連続再生もm3uファイルに複数のURLを改行区切りで書けばよいようだ。あっけないほど簡単だが、あのMP3.comでもやっている。
コメントは受け付けていません。タグ :
MacでOgg Vorbis
2005年02月08日 · Computer&NET
オーディオフォーマットと言えばMP3だが、10年以上前(1993年)に策定されたものだし、何より特許権を持つドイツの研究機関(Fraunhofer institute)から著作権ライセンスを供与されたフランスのトムソン・マルチメディア(Thomson Multimedia)が、2001年からMP3ソフト、ハード、ダウンロードを有料で提供している場合、課金を始めるとのこと。
これに対し、ライセンスフリーのフォーマットとして開発されたのがOgg Vorbisである。Vorbis.comには標準ソフトとしてリナックス、ウインドウズ版しかないが、マック用のCDデータ(AIFF)エンコーダとしてOgg Dropというのを見つけた。これを入れると一緒にQuickTime、iTune用のプラグインがインストールされ、マック標準ソフトでoggファイルが再生できるようになる。しかしストリーミングは受け付けないようで、Virginレコードのoggラジオサイトを聴くには、AUDIONなどのogg対応プレイヤーソフトが必要。
今のところエンコードは遅いが、同じビットレートでもMP3やAACより二割程度サイズが小さいし、MP3ではほとんど使いものにならない96kbps以下のビットレートにしても大丈夫。iPod LinuxプロジェクトではiPod上で使えるようにしたらしいが、小さくて安いのがあれば、対応携帯プレイヤーでも買ってみようか。
コメントは受け付けていません。タグ :
オリンポスの黄昏
2005年01月14日 · Book
田中光二著、集英社文庫、1995
4章ある長いあとがきにも記された通り、著者がデビュー以来熱望されながらも避け続けて来た、亡父田中英光についての私小説。長くさがしていたが、おととい文庫ボックスの棚で発見。単行本(1992)は今でも手に入るが、文庫は絶版のよう。
この作家を紹介してくれたのは高校時代の同級生。『異星の人』や『白熱』を高校生のとき出たばかりの文庫で読んだのを覚えている。その同級生は当時の私からすると老成した趣味人で、他に小林信彦や自転車など結構影響された。今はどうしているだろう。
コメントは受け付けていません。タグ :
第13回世界華文文学国際学術シンポジウムに参加して
2005年01月07日 · Area Studies
9月21日から24日にかけ、山東省の東端、威海で行われた第13回世界華文文学国際学術シンポジウムに参加した。三方を海に囲まれた威海は 1951年までの呼称「威海衛」で知れる通り、日清戦争で北洋艦隊が破れた古戦場で、学会後は市内見学の他、劉公島の中国甲午戦争博物館の見学も組み込まれた。威海は1992年の中韓国交樹立後、最初に中韓航路が開かれた土地柄、韓国企業の進出が盛んで韓国製品があふれ、専門デパート「韓国城」さえあった。
今回のシンポジウムの主催は省都済南の山東大学だが、会場には同大威海分校の国際学術センターが当てられた。渤海を望む学術センターは2003年開業。ブロードバンド完備の126室の四つ星ホテルを併設した国際会議場である。オーシャンビューの大ホールと8つの会議室を備え、20カ国200名が参加した国際学会の開催場所として十分な施設だった。
世界華文文学国際学術シンポジウムは、第1回の台湾香港文学学術シンポジウムが、1982年に広州の曁南大学で開催されて以来、中国大陸以外の中国語文学の研究集会として、中国国内で中心的な地位を占めてきた。中国大陸における「港台文学」の研究は、文革後の1979年から開始され、すでに20年以上に及ぶ。こうした動きは、高等教育機関の文学教育の中に、大陸以外の中国語文学を位置付けようとする試みと平行する。1986年の第3回で早くも「両岸」外の海外中国語文学が研究対象に加えられている。第4回では広東社会科学院の許翼心が「世界華文文学」ということばを初めて使い、中国語文学が世界文学の中で英語、スペイン語、アラビア語文学などと同じくグローバルな存在であることを示す概念として、第6回以降は大会名称としても用いられている。
開始当初は僑郷福建、広東の研究機関による地域的な集会であったが、回を重ねるごとに全国規模の研究集会として参加者を増やしている。ほぼ毎回、提出された論文を集めた論文集が出版され、第11回以降は開催時には論文集ができあがっているという手際の良さだ。 今回私は初めて出席したが、それは『新馬百年華文小説史』(山東文芸出版社,1999)の著者で山東大学の黄万華教授を中心に開催されたからであり、彼の華人文学研究が他の多くのように引き写しでなく、作品を読んで書くという当り前の研究手法であることに信頼を寄せているからである。
大会中に『世界華文文学大系』が、復旦大学の陳思和教授主編で出版予定と耳にした。教科書を完備し、学問分野としての地位向上を目指していることが見て取れる。日本巻は廖赤陽氏が担当予定だが、中国語作品のみ掲載とのことで、陳舜臣、邱永漢らの日本語作品を含まず、新華僑の作品だけで成り立つか少々心配ではある。
中国におけるこの分野の専門誌は、北京文聯の『世界華文文学』(旧『四海』)のほか、福建省文聯の『台港文学選刊』、汕頭大学の『華文文学』、江蘇省社会科学院の『世界華文文学論壇』など数誌に登り、中国以外の国の華人文学研究者としてはうらやましい限りだ。
今回は2002年にようやく広州で設立大会を行った中国世界華文文学学会も、山東大や地元山東省僑務弁公室、威海市政府とともに主催に名を連ねた。出席者の中で特に目立ったのはイギリス在住の人気女流作家虹影で、学会以外にも大学で講演したり、取材を受けたりしていた。なお、次回2006 年も中国東北、長春の吉林大学での開催が予定されている。
世界華文文学国際学術シンポジウム開催一覧:
開催年 名称(開催地、主な主催機関)
1. 1982 第1回台湾香港文学学術討論会(広州、曁南大学)
2. 1984 第2回全国台湾香港文学学術討論会(廈門、廈門大学)
3. 1986 第3回全国台港及海外華文文学学術討論会(深圳、深圳大学)
4. 1989 第4回全国台港曁海外華文文学学術討論会(上海、復旦大学)
5. 1991 第5回台港澳曁海外海外華文文学国際学術研討会(広州、中山大学)
6. 1993 第6回世界華文文学国際学術?研討会(江西廬山)
7. 1994 第7回世界華文文学国際学術?研討会(雲南玉渓)
8. 1996 第8回世界華文文学国際学術?研討会(南京、江蘇省社会科学院)
9. 1997 第9回世界華文文学国際研討会(北京、中国社会科学院)
10. 1999 第10回世界華文文学国際学術研討会(福建泉州、華僑大学)
11. 2000 第11回世界華文文学国際学術研討会(広東汕頭、汕頭大学)
12. 2002 第12回世界華文文学国際学術研討会(上海、復旦大学)
13. 2004 第13回世界華文文学国際学術研討会(威海、山東大学)
?は一部名称未確認
コメントは受け付けていません。タグ :
Yahoo!Cafe 成田空港店
2004年12月04日 · Computer&NET
成田空港で唯一無料ネットコーナーである、Yahoo!Cafe 成田空港店からアクセスしている。最近は混んでいたり、時間に余裕がなかったりでなかなか利用できなかった。入口のカウンターで名前、国籍、パスポート番号を書き、パスポートを見せてログイン用のI-Key(USBメモリ)を借りるしくみ。ノートの他デスクトップもあり、USBメモリを指す場所にちょっと戸惑うPCも...と思ったらちゃんと延長ケーブルで端子をキーボードまで出してあった。後ろに回ったり、前蓋を開けたり不審な行動を取ってしまった。窓際のPCで滑走路を眺めながらのタイピングはなかなか気分がよい。使えるアプリはブラウザ(IE)の他、Yahooメッセンジャーやメディアプレイヤーなど。Nortonアンチウイルスはわかるが、なぜか「窓の手」が入っている。メッセンジャー用にウェブカメラもついており、ヘッドセットも借りられる。デスクトップにマイコンピュータなどは出ていないが、スタート右クリックでエクスプローラは出るから、ファイルをデスクトップでなくマイドキュメントなどに保存してしまってもさがせる。立教SPIRITもストレスなく使えた。第二ターミナルだけでなく、第一にもぜひ設けて欲しい。
→ コメント(3)タグ :
MT3 upgrade
2004年11月19日 · Computer&NET
まだまだver.2のブログも多いのでそのままにしていたが、英文スパムコメントに耐えかねMovable Type3の正規日本語版にアップグレードした。最初はMT-3.11-upgrade-jaからファイルを上書きし、mt.cfgに「DefaultLanguage ja」と書き加えるだけでうまく行ったかに見えた。ところがログインしても元のユーザー名も初期設定のMelodyも登録されていない模様。しかたなくMT-3.11-full-jaからクリーンインストールし、バックアップのMT2からユーティリティーで書き出したエントリー、コメント類をMT3に読み込んだ。
サイトの再構築時にPrototype mismatchが出る、登録コメンター許可にするとTypeKeyログイン時にBase64エラーが出る、動作が重くなったなど気になる点はあるが、コメントの一覧画面が追加され、管理はしやすくなった。
コメントは受け付けていません。タグ :
ブルベ200km
2004年11月18日 · Bicycle
1106アタック秩父(200km)に参加。認定はないものの、ランドヌールジャポン(現オダックス・ジャパン)からブルベカードとリザルトが送られて来た。東浦和南の神根運動公園から北浦和に出て羽根倉橋を渡り、川越から高麗川に行って飯能小瀬戸が第一コントロールポイント。清水の里名栗を通り、山伏峠を越えて秩父から長瀞まで上ったところが第二コントロールポイント。皆野長瀞インターまで戻り、定峰峠を越え(国体コースの一部)、落合橋まで下って東松山インターが第三コントロールポイント。入間大橋まで東南に抜け、第二産業道路を下って元の東浦和でゴールというコースだった。コントロールポイントはいずれもトイレのあるコンビニで、開設時間内にサインを受ける。PC-1までとPC-3から先は普段走っているコースと重なるので、気楽に参加したがなかなか厳しかった。何とか12時間台で走ったものの、特に最後のポイントから第二産業道路に出るまではさんざん道に迷い、小一時間ロスした。トップは9時間切るほどで比較にならないが、10時間で走った人とポイント間のおおよそのタイムを比べてみると、以下の通り。
10h:Start-PC1(2.5h)-PC2(2.5h)-PC3(2.5h)-Goal(2.5h)
13h:Start-PC1(2.5h)-PC2(3h)-PC3(4h)-Goal(3.5h)
最後の区間は迷ったのでしかたないが、定峰峠越えの区間が遅いのがわかる。最初の山伏峠がきつく、第二ポイントで休みすぎたせいもあるが、攻められる程度の上り勾配をゆっくり登ったのが響いたようだ。
ゴールはスタートからちょうど半日後の夜7時過ぎで、しばらく立ち話してから自走で帰宅した。サドルが高すぎたようで、その後3日間下半身がしびれていたのには参った。
コメントは受け付けていません。タグ :
Tea O
2004年10月11日 · Tour
台風で朝着になったシンガポールで、朝飯を求めてコンコルドホテル向かいフラット内のホーカーズセンターに飛び込んだ。チャーシュー焼きそばとお茶を頼んだが、Tea Oを選んだらミルク入りでなく、普通の紅茶が出て来た。勝手にティーオレと思っていたのだが、ならばTea Onlyか?
その後雑誌を読んでいたらKopi(マレー、ビンナン語でコーヒー)の記事で、Kopi OのOはビンナン語で「黒」だ、と出ていて膝を叩いた。ちなみにKopi C(海南語で「鮮」)は砂糖ミルク入り、Kopi kosong(マレー語でゼロ)はストレートだそうだ。Kopi Gao(ビンナン語で「厚」)は濃い、Kopi Bo(ビンナン語で「薄」)薄いなんていうのもある。
今更だが、生ジュースがうれしくて、スイカばかり飲んでいたせいで気付かなかった。
コメントは受け付けていません。タグ :